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代々木八幡宮/代々木八幡神社
- 渋谷区 その他
緑豊かな鎮守の社
| 施設名 | 代々木八幡宮/代々木八幡神社 |
|---|---|
| 所在地 | 東京都渋谷区代々木5-1-1 |
| 電話番号 | TEL:03-3466-2012 |
| FAX番号 | FAX:03-3466-2012 |
| URL | http://www.yoyogihachimangu.or.jp/ |
| 紹介 | 代々木の総鎮守。山手通りの宇田川低地富ヶ谷交差点から初台に上る八幡橋陸橋を登りきった右手にある。鎌倉時代の初め、建暦二年(1212)九月二十三日どういう理由か判らないが、源氏の御家人近藤氏に仕えていた荒井外記が西原の地にやってきて隠棲、この地(西原1丁目1番・4番、元代々木町14番・15番・41~45番)に鶴ヶ岡八幡を勧請、夢の中で大神から宝珠のような鏡を感得したので、名を智明と改めて草庵(屋敷)を営み「智明院」と呼んだ。書籍によっては智明を宗友(宗祐)に改めたとしているものがある。どちらが正しいのか正確なところは判らない。 下って寛文十一年(1671)社地を初台跡地(現在地)に移し、同時に智明院も移して山号を宝珠山、寺号を福泉寺とした。跡地は福泉寺領として農民に小作させた。 ●縄文時代遺跡 八幡神社の境内に古代住居の想像復原家屋が作られている。昭和25年に渋谷区立上原中学校の教諭若林精一が同校生徒たちと発見したもので、復原住居はその後、国学院大学教授樋口清之の指導によって区教育委員会で作った国内第一号のものだ。なお神楽殿の脇に展示館がある。出土した石器・土器、発掘当時の写真、縄文時代の集落や生活の様子を示した絵画、人形などが展示されている。 ●訣別の碑 明治42年代々木の原に陸軍の練兵場が設けられた時、突然追い出されることになった農民たちが悔しさのあまり集まって奉納した灯籠2基。拝殿前に建っている。仰々しい碑を建てれば、薩長の荒くれたちのこと、非国民扱いして何をされるやら判らないので、灯籠の竿石の部分に悔しさをにじませた。 ●盛徳大業 昭和46年に建てた社殿修復記念碑。 ●八幡宮紀念之碑 明治34年の拝殿改築記念に建てた。篆額は千家尊福東京府知事、撰文は神田明神祠官平田盛胤、書は子爵福羽美静(高齢と病気のため代筆野村伝四郎 裏面代筆義弟福羽良曠。 ●表忠碑 これは幡代小学校にあったものを移建したものだ。明治37年の建碑。題字は小笠原長生が書いた。日露戦役に出征し、死んだ9名と従軍した56名の名前が裏面に書かれてる。 ●三角点の標石 表忠碑の前に国土地理院が埋めたものだ。 ●臼井亜浪の句碑 そのむかし代々木の月のほととぎす 亜浪は長野県出身の俳人、法政大学を卒業して大須賀乙字と「石楠(しゃくなげ)」を創刊して高浜虚子の「ホトトギス」に対抗した。この碑は昭和9年創刊20周年を記念して建てたもの自然石の句碑の真ん中に、亜浪の胸像の前半分が貼り付けてある。 ●菅公一千年歌碑 新町の天神社にあったものを、明治33年に天神社を合祀した際、同時に引き移した。 ●五社宮 明治33年代々木山谷301番地(参宮橋駅の西方)の掘出稲荷と代々木新町3番地(箒銀杏の天神社)、榛名社は各農家にあったものを集めて、代々木山谷365番地(代々木公園の駐車場)にあった天祖社、代々木山谷139番地(南新宿駅北)にあった白山社の5つの小社を合祀したもの。 ●出世稲荷 空爆で各戸の屋敷稲荷が壊されたり、ひっくり返されたりしたものを集めて合祀したもの。大小・形の違う狐像が社殿の周りにランダムに配されている。 ●代々木餅つき神事 毎年2月1日、節分の直前にこの境内で餅つきが行われる。その時保存会の人たちによって歌われる餅つき唄は代々木村当寺の名残だ。搗かれた餅は節分の日に参詣者に配られる。 |
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