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世田谷観音寺
- 世田谷区 その他
「江戸三十三観音」の第32番札所。「せたがや百景」の第3番
| 施設名 | 世田谷観音寺 |
|---|---|
| 所在地 | 東京都世田谷区下馬4-9-4 |
| 電話番号 | TEL:03-3410-8811 |
| URL | http://www.setagayakannon.com/ |
| 紹介 | 昭和26年東京一のパン屋静養堂の主太田陸賢が開創した寺で、保有する文化財は関東一といっても過言ではない。 ●世田谷山観音寺門標 寺域に入る右手に建てられている。単なる石の角柱だが、揮毫は元内閣総理大臣吉田茂。 ●特攻平和観音石碑 寺域に入る左手に据えられている自然石の碑。 ●観音寺本坊 旧小田原藩代官屋敷だったものを移築したもの。 ●木造不動明王と八大童子像 一具の像として、奈良県内山永久寺にあったもの。八大童子の内の清浄比丘像の胎内に、紙本墨書の造像願文が納入されていて、それによるとこれらは金剛仏師乗恵以下4人を勧進沙門とし「大仏師和尚位康円」「絵仏師法橋上人位重命」によって、鎌倉時代の文永九年(1272)に造立されたことが判る。像はいずれも檜の一材から根幹部を造り、首柄や両足を割り矧いで、これに手や条帛、天衣を矧ぎつけたもの。色彩も、肉身部にはそれぞれ群青や白、朱、黄、緑青を塗り分け、衣文には截金や金泥を用いて精緻華麗な装いを凝らしている。一部を除き、不動の木製火炎光や各像の台座など当初のもので保存状態は極めてよい。像高は不動が110cm、童子が40~60cmだ。 作者康円は、運慶3代といわれて慶派を代表する仏師。この像には運慶ほどの創造性はないが、形相、服制、髪形などに変化、対照を意図していて、ポーズにも自由奔放さを狙い、全体として賑やかさが強調されている。木像で八大童子が揃っているのは、高野山の運慶作の国宝とこれのみ。 ●木造五百羅漢坐像9躯 五百羅漢とは、阿羅漢果(小乗の最高の境地)を得た500人の高僧をいう。阿羅漢とは小乗において悟りを極めた位をいう。9体の像は、元目黒羅漢寺の本堂に安置されていた500数体の像の内の一部で、松雲元慶が、江戸時代の元禄四年(1691)から八年(1695)ころまでに造立したとされる。 像高は82.4cm~90.4cm。 松雲元慶は、京都の仏師であったといわれ、寛文九年(1669)に出家し、九州地方を巡遊した折、大分耶馬溪羅漢寺の石造の五百羅漢像を拝して感動し、自分でも造立しようと一念発起した。そして江戸に入り、五百羅漢像を完成させて羅漢寺を開いたが、明治43年羅漢寺は本所から現在地に移転後荒廃し、200体ばかりが盗み出されたものの一部が、ここの9躯だ。寄木造り彫眼で、体部は布張りの上に厚く漆をかけ、衣の文様には練物を使って、盛り上げてある。その作風も、自然な姿態の中に一種粘りのある表現を示すところなどこの時代の彫刻の中では様式技法両面で異彩を放っている。 ●石造地蔵菩薩坐像露仏 本坊門の右手にある。大地の恵みを表現したもので、大地すなわち現世または地獄における救済や利益に力がある菩薩。 ●細石 さざれいし 仁王門の手前左手にある二つの石の塊だ。これが日本国歌「君が代」に詠われている、あの「さざれいし」。細石とは「石灰質角礫岩」という岩石で、水に溶けると粘着性の強い乳体状となり周りの小石を結着させていき、次第に石が大きくなっていく。 ●狛犬一対 仁王門の前の左右にある。これには文武に秀でた清国の第四代康熈皇帝(1662~1722)の辛未の年(1691)十月の銘がある。鉄製。 ●仁王門 この門は本堂、六角堂と同じく新潟の石油王中野忠太郎家より移築したもので、その際に六角堂と切り離し、両袖部分は増築したもの。 ●福被嬰黎 大提灯の上部に見られる扁額。 ●仁王像 23区内では最も古く、平安時代後期(12世紀後半頃)の作で、美術的にも高く評価されている。向って右を阿形(あぎょう)像=金剛力士、左を吽形(うんぎょう)像=密迹力士といい、像高は約270cm、忿怒形ながら穏やかな表情、筋肉の盛り上がりをあまり強調しない、なだらかな肉どり、簡素な衣文(えもん=衣装のひだやしわの表現のこと)など平安後期の作風を示し、作柄に地方的な崩れを認めず、中央(京都・奈良ないしその周辺)での製作と考えられている。 ●阿弥陀堂 鹿苑寺金閣を模したという3階建ての建物。富山県から移築。屋根に鳳凰がある。中に阿弥陀如来、観世音菩薩、伝左甚五郎作の鬼念仏、韋駄天、本所五百羅漢寺の羅漢像9体などが安置されている。三階の軒下には「韋駄天」の扁額が掲げられているが、この堂に安置してある韋駄天は、日清戦争時の清国欽差大臣(全権大使)李鴻章が所有していたもの。 ●石造文殊菩薩立像露仏 九州太宰府天満宮より招来の石仏。文殊は「妙徳」の意で、知恵を司る菩薩。インド生まれの実在の人物が菩薩となったもので、釈尊の脇侍となるほか単独の信仰も篤い。普通は右手に知恵の剣、左手に青蓮華を持っている。満州(中国の東北地区)は、文殊信仰から起きた地名だ。学業成就、合格祈願、兎年の守り本尊。 ●不動堂(六角堂) 京都の六角堂を模して建てられたといわれている。拝殿部分は仁王門になっている。中に奈良の内山永久寺にあった不動明王と八大童子(ともに国の重文)の九尊が安置されている。 ●不動九尊 運慶の孫康円と絵師法橋重命の作で、不動明王と八大童子の九尊一式彫像が完全に揃っているのは、他には高野山だけだそうだ。 ●銅製夢違観音立像露仏 六角堂の右手の池の中に建っている。この観音像は法隆寺の夢違観音(87cm)を拡大模写したものだ。悪い夢をよい夢に変えてくれる観世音菩薩といわれている。 ●鐘楼堂 鈴鹿の石薬師寺(しゃくやくしじ)が所蔵していたもの。 ●梵鐘 奈良極楽寺の什物で慶長十年(1605)の銘がある。現役の鐘楼としては区内最古。 ●葉書の木 多羅葉樹 この木の葉は傷をつけると黒く変色するので、紙のない時代、この葉に文字を書いて文通したという。それで「葉に書く」ことから「葉書」の名が生まれ、明治時代にイギリスから郵便制度を取り入れると、「ポストカード」を「郵便葉書」と訳して命名した。 ●多宝塔 銅製。 ●観音堂(本堂) 正面扁額の位置に竜の彫刻が施されている。これは金沢の豪商宮地伝右衛門が、福井城内にあったのと全く同じものを、富山城端の名匠石塚他三郎に彫らせたものだ。本尊の聖観音は伊勢長島の興紹寺の本尊だったが、昭和26年に移して開眼供養した。日光・月光菩薩は中国のもの。 ●南無観世音の碑 自然石の詠歌碑。揮毫は金竜山浅草寺管長清水谷恭順大僧正猊下。 ●石仏群 ●水屋 ●三鈷の松 胴吹三葉の松 樹齢100年以上とされ、同種のものは高野山金剛峯寺にあるが、当山のものは、特に幹の胴部からも芽吹くので、大変めずらしい松といわれている。 弘法大師空海上人が唐から帰朝する時、三鈷を「密教有縁のの地に行きて我を待つべし」と天高く投げられた。帰朝後高野山で松の枝に留まっていた三鈷を発見し、高野山を伽藍建立の場所に定めたとされ、持っているとご利益があると云われている。 ●裏門・百八煩悩滅除階段 108枚の板石で造られている石段。 |
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