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西福寺

世田谷区 その他
世田谷区内最古の寺
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施設名 西福寺
所在地 東京都世田谷区赤堤3-28-29  
紹介 新義真言宗豊山派の寺。天正十二年(1584)服部頼母増裕が継尊法印を開山としたと伝わる。かつて本尊に不動明王像を安置していたが、文化年間に本堂・本尊・薬師堂の全てが祝融の禍に遭い、焼失してしまったので、薬師堂にあって運よく難を逃れた薬師如来立像を本尊にしている。現在の本堂は7代ほど前の住職が建てたもので、欄間の彫刻だけが焼失前のもの。

●仁王門
 西福寺通り側の入口から50mばかり入ったところに金剛密之迹両力士(仁王尊)を安置したそう大きくない寺門がある。正徳元年(1711)に建てたられたが、火事で焼け、現在のものは昭和43年に再建したものとのこと。それで仁王尊は他から移したもので、作者不明だが、鎌倉時代の檜の寄木造りといわれる。現在は全体に彩色を施してあるが、木肌は人肌のように美しい。

●道標石碑
 仁王門の手前にある1m余の石柱。願主安藤忠蔵が、宝暦九年(1759)に造立したもので、正面に「大師金剛遍照」とあり、側面に「右二番上北沢村密蔵院へ八丁余、左三十一番当村善性寺へ七丁余」とあり、寺院巡礼の道標を兼ねた区内では珍しいもの。

●服部伊賀守貞勝の墓
 入って左手にある1.7mほどの墓碑。「故伊賀守服部君墓碑銘」と記してある。 赤堤村の領主貞勝の事蹟をその子貞陽が、文政七年(1824)に記して建てたもの。侍講成島司直の撰文になり、揮毫は戸川安恵だ。貞勝は字を子一といい、先祖は桓武平氏、貞盛の子孫数世の後、伊賀国服部郷に住して服部を氏とした。つまり服部半蔵と同根なのだ。貞勝は駿府奉行、松前奉行、長崎奉行などを歴任した優秀な江戸幕臣だ。

●旧領主服部家の墓所
 本堂裏の墓域中央にある。40基ばかりの墓石が並んでいる。

●木造薬師如来立像
 檜の一材から頭体幹部を通して彫りだし、前後に割って内刳りを施した、割矧造(わりはぎづくり)と呼ばれる造法になる。 像高98.1cm。調眼。製作年代は平安時代末期から鎌倉時代初期と推定される。昭和56年に行われた解体修理によって、ほぼ完好な姿に復し昔日の面影を偲ぶことができ
る。円満な面相や、下腹部から流れる衣文の彫法などに平安時代末頃の特色が認められるが、全体的に見受けられる彫りの荒さや、胸から腹部にかかる膨らみに、地方作、あるいは時代の推移といったものが想像されて、年代判定にある程度の幅を必要とするところだそうだ。『新編武蔵風土記稿』に、享和年間(1801~03)の回禄以前に薬師堂の本尊だったことを記している。それ以前の伝来については、大檀越たる服部氏が故地伊賀国より請来したとの伝承がある。

●阿弥陀一尊画像板碑
 区内に画像板碑が4基現存するが、その中でも薄肉彫りと線刻を巧みに併用したもので、最も優秀な板碑といわれている。現在蓮台以下を欠損していて正確な造立年代を知ることが出来ないが、鎌倉時代の作だろうと予測されている。阿弥陀如来像の衣文の一部に漆箔の跡が見え、元は全体が金箔に覆われていたいたものと思われるとか。 高さ72.2cm×幅35cm×厚さ3cm。
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