住宅情報館 寿家HOME > 地域散歩 > 世田谷八幡宮

世田谷八幡宮

世田谷区 その他
勝運・開運の神様
  • 世田谷八幡宮 画像1
  • 世田谷八幡宮 画像2
  • 世田谷八幡宮 画像3
  • 世田谷八幡宮 画像4


マップビュー切替


マップの中の人形アイコンをドラッグで移動すると、写真の位置が変わります。
写真の中はドラッグで360度回転でき、中の矢印を押すと町中を移動できます。

施設名 世田谷八幡宮
所在地 東京都世田谷区宮坂1-26-3
電話番号 TEL:03-3429-1732
FAX番号 FAX:03-3429-2226
紹介 祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇。天保七年(1836)に刊行された『江戸名所図会』には、挿絵に世田谷八幡社と記され、文には宮坂八幡宮として、

 「同じ寺(豪徳寺)より西の方岡続きにありて、其の三町程を隔つ。鎌倉鶴岡八幡宮の模にして、勧請の年歴詳ならず。天文十五年(1546)吉良頼貞当社を建立すと云。或は義家勧請せられし御神にして、吉良家再興とも云ひ伝ふれども、義家勧請と云ふ事疑い少なからず。祭礼は八月十五日にして、社司大場氏の奉仕たり。社内に存する桜は、頼貞植るところと云ひ伝ふ」

 乃ち約900年前奥州の清原武衡・家衡らの内乱(後三年の役)を平定した源義家が戦勝を祝して勧請し東征の弓矢・旗を納め後の記念とした。
 さらに「神社の東方世田谷の地に居城を築いた。吉良氏が氏神として崇敬し、社殿を修復して備前雲次の太刀(2尺3寸)の白鞘一振を八幡神の佩刀として納めた」という。しかしこれは根拠の薄いもので、かつて神社が蔵していた棟札に、

「当社八幡宮建立大檀那源朝臣頼貞。天文十五年丙午八月二十日釿立、十二月二十日癸卯 御遷宮」

 とあるので、460年前に吉良7代の頼康によって造立されたものと考えられる。頼貞は頼康の初めの名で、頼貞と頼康は同一人物。
 徳川家康が江戸城に入城したのち、天正19年(1591)当八幡社に社領として11石田畑にして3町9反4畝を寄進した。以来代々の将軍は、朱印状を与えるのが慣わしとなった。維新後の明治5年郷社宇佐神社(八幡の大元は大分県の宇佐神宮だから)となり、世田谷村全体を氏子区域と定めたが、終戦後神社は国家管理を離れたので、宇佐神社の社号も朱印状などの文献によって、元の社号「世田谷八幡宮」に復し、東京農大のところにあった陸軍戦車学校に祀ってあった自動車神社を合祀した。昭和39年5月社殿を鉄筋コンクリート建てに改築し壮麗なものとなった。なお文化十年(1813)の建築といわれる本殿はそのまま現在の本殿の中にそっくり納められている。例大祭は9月15日。
  渋谷氷川神社・大井鹿島神社と「江戸三大奉納相撲」で有名だったが、現在この神社だけが毎年例大祭の日に行っている。
半径1km以内の周辺物件を見る
もっと見る