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【ウメガオカ】梅丘の由来 1丁目~3丁目

 さて昭和2年小田急が開通したとき梅ヶ丘駅はまだ設置されてなかった。昭和5、6年頃の宅地化により地元有志が小田急に懇願したところ「600坪の土地の無償提供と、3人の駅員の3年分の給与負担)を条件に開設が決定した。その駅名についてあれこれ議論したが妙案は浮かばず、結局、代田神社の南に梅林があったとか、駅の誘致に尽力した有力者の家紋が梅鉢だったとかのいい加減な理由で「梅ヶ丘」と命名され、唯一7年遅れで同9年4月1日に開業した。この辺りは北沢窪という低地で北沢警察署の方は水路の乱流する湿地だったようだ。現在も耕地整理でできた水路が暗渠で残っている。『小田急50年史』には、

 この地は北沢窪という地名で、かつては麦畑の中に一基の古墳があり出土品もあった。したがって梅丘は古墳にちなむ埋ヶ丘に由来するとの説がある。またこの地の大地主旧家に梅の古木があり、同家の家紋も梅をかたどったものであるところからこれをとって優雅な「梅ヶ丘」の駅名をつけたともいう。

 とある。有力者・大地主・旧家というのは相原家のことで、同家の家紋は「梅鉢」である。


 世田谷村。梅丘村はない。昭和41年2月15日世田谷2丁目の東半と若林町の一部をあわせた町域、つまり松原村飛地松原宿の東半と世田谷村字北沢窪・山崎・久保・竹の上の各一部をあわせた町域を現行の「梅丘1~2丁目」とし、同43年新住居表示により若林町・世田谷2丁目の各一部をあわせた町域を現行の「梅丘3丁目」とした。