【ウナネ】宇奈根の由来 1丁目~3丁目

①、山の稜線を「オネ」または「ウネ」といい、高い方を「畝方」、低い方を「谷方」という(柳田国男)。
②、宇奈根神は穀物の神(延喜式)。
③、「ウンナン様」は田の中の神(地名の語源)。
④、古代語で溝を「ウナヒ」といい、それが「ウナニ」に転じた。
⑤、畦目(うなめ)、畝目(うねめ)など。
以上の様な「こじつけ」がある。実際のとこは判らない。しかし②③④⑤は水田・稲田に関わる名であり、この辺りは多摩川の肥沃な土砂が堆積してできた土地なので、やはり農耕地の
佇まいを土地の名にしたのではないか? 区では「ウナヒ説」を有力としている。今は暗渠で判らないがつい先ごろまで町田川・清水川など曲がりくねった用水が縦横に走っていた。江戸のころには多摩川に注ぐ細流に蛍が棲み、初夏の蛍狩に多くの文人が訪れた。この地名は室町時代の記録に出ているほど古いが、由来は明確ではない。江戸の後期に歌人の橘千蔭が宇奈根の氷川神社に参詣して、
うしことのうなねつきぬきさきくあれとうしはく神にぬさ奉ると詠んでいる。宇奈根の地名を詠みこみ、「う」の音を巧みに重ねながら、氷川の神に幸運を祈った歌のようだ。『日本国語大辞典』で<うなね>を引くと、うなね(項根) 首の付け根。後頸部。くびねっこ。とし、「うなね突き抜く」という熟語を首を深く垂れ下げて礼拝する動作のことと説明している。宇奈根の地名も、この地域の形状が多摩川に突き出した首ねっこに似ていたためという説もある。しかし『世田谷の地名』の著者、三田義春は、上古から溝のことをウナニというので、地形的にあてはまるとしている。
宇奈根村。室町時代には見られ、江戸時代は荏原郡のち多摩郡世田谷領、明治5年神奈川県に所属、同11年北多摩郡が東京府に編入。同22年「市制町村制」により砧村の大字、同45年多摩川以南の村域を神奈川県橘樹郡(たちばなぐん)高津村に譲渡。昭和11年砧村が世田谷区に吸収されて同区宇奈根町、同46年新住居表示により宇奈根町の大部分に鎌田町・喜多見町の各一部をあわせた町域を現行の「宇奈根」とし、一部を喜多見1・3丁目に編入した。




