住宅情報館 寿家HOME > 地名の由来「世田谷区編」 > 【イケジリ】池尻の由来 1丁目~4丁目

【イケジリ】池尻の由来 1丁目~4丁目

 むかし多聞小学校の東の山下で北沢川と烏山川が合流し沼沢地帯を形成し、蛇池とも龍池とも呼ばれていた。大橋を頂点とした人の字形をした長大な水溜りだ。下北沢村に字池ノ上があり隣村は池沢村だった。蛇池・龍池・辰池は細長い水溜りをいう。池尻の〝尻〟は出口のことで池や沼・湖が川に落ちるところをいう。湖尻や野尻・塩尻が知られている。目黒川の大橋の付近が狭くそのため西側に川水が溜まって大池になったようだ。しかしその狭隘部は崩れたか崩されたかしてなくなり、幕末の頃から徐々に干上がっていった。明治になって町が陸軍騎兵隊・砲兵隊・輜重隊等の戍衛地となり、玉川電車が開通すると次第に市街地化し、あちこち住宅が建ち始める頃の池の跡は地面が緩く建築に難渋したという。

 池尻村。「いけしり」ともいい、「池ノ尻」とも書いた。明治22年「市制町村制」により世田谷村大字。大正12年世田谷町大字、昭和7年世田谷区池尻町。同40年新住居表示により池尻町の大部分に下代田町・三宿町・下馬町1丁目の各一部を併せた町域を現行の「池尻」とした。