【ホウユウ】朋有小学校

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東池袋4丁目40番にある区立校。平成15年時習小学校と大塚台小学校を統合して出来た新設校。
■巣鴨第三尋常小学校 → 大塚台小学校 廃校
4丁目40番にあった区立校。大正9年東京府北豊島郡西巣鴨町大字巣鴨字宮仲2120番地に時習尋常小学校から715名を移して「巣鴨第三尋常小学校」として開校(HP)。『教育豊島の一世紀』では「西巣鴨第三」としている。校歌「天祖の森の」 作詞・石橋毅 作曲・佐々木英
1.天祖の森の静けさよ
心も清く身も軽(かろ)く
真の道を踏み締めて
今日も進まん建設に2.芙蓉の雪の照り映えば
正しく強き姿にて
不屈の力 見詰めつつ
明日も努めん開拓に3.無限の星の煌きに
不滅の心 求めつつ
揺るがぬ大地踏み締めて
いざや開かん世の扉昭和初期男女でクラス分けされていた。この頃男子は黒の学生服を着用しているが、女子はセーラー服に変わりつつある頃で、着物の児童もまだ多く居た。同12年の写真では着物の女子児童は見当たらない。豊島区の成立した昭和7年の白木屋百貨店の火事が影響したものと思われる。同16年勅令148号国民学校令により「東京府東京市巣鴨第三国民学校」と改称。12月日米開戦し太平洋戦争勃発。同18年都制施行により「東京都長崎第三国民学校」と改称。同19年8月長野県更級郡上山田に学童集団疎開。同20年5月空爆により校舎全焼。11月疎開解除により疎開児童帰校。しかし校舎は無く、豊島第二国民学校に間借りして授業を再開した。
同22年戦勝国アメリカの干渉(強制)による学校教育法施行(学制改革)により「東京都豊島区立大塚台小学校」と改称。同24年西巣鴨2丁目1952番地(西巣鴨中学校)に新校舎を建てて移転。【校歌「空仄々と」】 作詞・長谷川泰寛 作曲・渡辺浦人
1.空仄々と明け行けば
希望に満ちた我が友の
揃う足並み今日もまた
弛まぬ努力傾けむ
ああ我が学び舎 大塚台2.伸び行く体 健やかに
真竹に似たる此の心
意気大空に燃え立ちて
礎築かん日の本の
ああ我が学び舎 大塚台3.深く培い諸共に
真理究め人の世の
光とならん良き友の
集い励める此の処
ああ我が学び舎 大塚台同26年西巣鴨中学校と校地交換して最終地に移転。同31年図書室完成。同40年~43年にかけて少しづつ学校の建物が造りかえられ、プールも体育館も建てられた。木造校舎を壊しては新校舎を建てるいう方法で、4回に分けて建て替え、同43年3月2日に新しい鉄筋4階建て校舎が完成した。同45年創立50周年記念式典。まだ校庭も土で、銀杏や欅の木も今よりもずっと小さかった。この時のプールは小さく大きなプールに作り変えたのは同46年のことだ。
同53年東洋一高いビル「サンシャイン60」が東京拘置所後に建てられ、目の前に聳え立つ60階建てのビルは児童たちの自慢になった。同55年創立60周年を祝い、子ども祭りや仮装行列も行われ、空き缶でサンシャインビルを作って校庭に飾ったりもした。
屋上もアーバンコートに変わり窓枠もアルミサッシになった。教室に大型テレビが設置されたのもこの頃。「おめでとう大塚台」が児童の手で作られた。「西暦2020年仲間たちへ」と題してタイムカプセルも二宮金次郎像の横に埋めた。学区域をパレードして鼓笛やエールも披露した。
平成4年にはプロムナードもできた。けやきステージ・観察池・温室・学級園・飼育小屋・国旗掲揚塔もできた。正門が現在のところに移されたのもこの時だった。体育館も改修され、その下にあった部屋は真竹の間・家庭科室・ランチルーム・いちょうルーム・サンシャインルーム・放送室などの教室に生まれ変わった。バイキング給食やリザーブ給食・リクエスト給食が取り入れられらのもこの頃だ。
同15年学区の商業地化による児童減少により本校である時習小学校と統合して「朋有小学校」となった。跡地はその「朋有小学校」だ。■時習小学校 廃校
六ツ又交差点から春日通りを東へ行ったところにあった。明治18年巣鴨村2083番地に「巣鴨小学校」開校。同19年池袋村382番地に「鼎郷小学校」開校。同34年鼎郷小学校と巣鴨南小学校が合併し、巣鴨村大字巣鴨字宮仲2894番地に、高等科を併置して「東京都北豊島郡時習尋常高等小学校」として開校。巣鴨地区で最も古い小学校だ。【校歌「明治は三十四年」】 制定年、作詞作曲不明
1.明治は三十四年
五月十日を良き日とて
学びの園は開かれぬ
時習学校万々歳2.豊けき春に鳥の
巣鴨の里に籠もる雛
おおし立てむと此の庭に
学びの園は開かれぬ3.学びて時に習ふてふ
その言の葉を千代かけむ
心に止めて励みなむ
時習学校万々歳同43年明治女学校寄宿舎跡に分教場開設。大正2年分教場を独立し第一巣鴨尋常小学校を分校。同4年火災により校舎2棟及び記録の一切を焼失。同7年巣鴨第二尋常小学校を分校。同9年巣鴨第三尋常小学校を分校。同12年巣鴨第四尋常小学校を分校。昭和2年西巣鴨第六尋常小学校を分校。同5年西巣鴨第七尋常小学校を分校。同7年北豊島郡の東京市併呑により「東京府東京市時習尋常高等小学校」と改称。同9年豊島第一高等小学校の開設により高等科の一部を移管、同11年残りの高等科を豊島第一高等小学校に移して「東京府東京市時習尋常小学校」と改称。同16年勅令148号国民学校令により「東京府東京市時習国民学校」と改称。同18年都制施行により「東京都時習国民学校」と改称。同19年8月学童集団疎開。同20年4月東京西部大空爆により校舎全焼。
同21年校舎はなかったので、豊島第二国民学校などで分散授業。同22年学制改革(学校教育法施行)により、「東京都豊島区立時習小学校」と改称。【時習小学校校歌「明るい光を」】 作詞・勝承夫 作曲・平井康三郎
1.明るい光をいつも胸に
すくすく育つ 仲良く伸びる
時習の我等は若竹若木
希望輝く楽しい力2.床しい香りの梅の花を
翳して清く豊島に開く
時習の此の窓 自立の気風
栄の歴史を守ろう我等3.子の手繋いで何時も行こう
世のため尽くす誓いは固い
時習の子供は日本の明日を
担う強い子果てなく進む平成15年地域の商業地区化により児童が減少、終に大塚台小学校と統合して「朋有小学校」となり、旧大塚台小学校の校地に吸収された。廃校となったその敷地の南西隅のところにかつて西巣鴨町の役場があった。跡地は「帝京平成大学」に。





